おかあさんの階段

中学生の息子をもつアラ還主婦の日々の思いを綴ります。

夏休み最終日にまとめて宿題をやるのはいい? 悪い?

 今日は一人で7.77キロ走ってきました。体重は、52.6㎏。帰り道、右膝の上部が痛くなり焦りましたが、なんとか走り切ることができました。


 ストレッチを入念に行ったので、明日も走れるといいんだけれど…。


 先週の月曜日は、夏休みの最終日でした。息子は友だちの家に遊びに行きました。一緒に遊べると思ったら、その子は宿題をやっていたそうです。


「S君は、答案を丸写ししていたよ~ 自由研究もすごく雑だったけど、なんとかやっちゃったみたい」


 S君が必死に勉強している傍らで、息子はゲームをして遊んでたそうです。息子の存在が、S君にとっては宿題をやりおおせる勇気の源になっていたのかな…。


「S君のお母さんは、仕事を休んで様子を見ていたみたいだよ~」


 最終日に回答を写しながら宿題を終わらせている子どもを叱らず、じっと見守っていたというから、S君のお母さんはたいしたものだと思いました。


 おそらく私だったら、ものすごく怒っただろうし、そもそも口うるさく注意して宿題を夏休み中に終わらせてしまってました。


 せっかく自分で勉強するという機会を摘んでしまった…。


 いま、アドラー心理学の解説本として有名な『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀文健著 ダイヤモンド社)を読んでいて、私の子育ての問題点を考えたり、見直しを図っているところです(汗)


古本屋さんで買いました。もっと早く読むべきでした…


 この2冊を読むと、S君のお母さんを見習うべきなんじゃないだろうかという気持ちになってきます…。


 『幸せになる勇気』に次のような一節があります。


自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたっては必要な材料―たとえば知識や経験―があれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。


 何事も自分で決める。子どもの選択を尊重する。たとえ失敗しても、それを引き受けるのは子ども自身。


 そういう体験を繰り返すことで、子どもは自立した人間に育っていくというのです。


 叱ったり怒ったりするのも、コミュニケーション手段としては最悪の選択だとアドラーは言っているそうです。


 ほめて伸ばすのも否定しています。ええっと思いましたが、


ほめることは”能力のある人が、能力のない人に下す評価”であり、その目的は”操作”である。


 たしかに褒めることで、子どもをコントロールしようとしている私がいました。褒めるのもダメ、叱るのもダメ。じゃあ、どうすればいいんだ~ それを知るために、いま必死で読み進めているところです~


 息子は12歳になり、自我に目覚める年頃になりました。そろそろお母さんも息子の意思を尊重し、対等な人間として接する時期がきているのだと感じてます(汗)