おかあさんの階段

中学生の息子をもつアラ還主婦の日々の思いを綴ります。

息子の音読「やなせたかし」に人生を学ぶ

 毎日、音読の宿題が出ます。最近の課題は、「やなせたかし―アンパンマンの勇気」(梯久美子)です。


 息子はアンパンマンにはあまり興味を示さなくて、幼いころもほとんど読んだことがなく、やなせたかしさんのことはほとんど何も存じ上げませんでした。


 アンパンマンが誕生した背景には、戦争中の飢餓体験と、弟さんの戦死があったようで、戦争が終わってからもずっと「正義とは何か」を考え続ける日が続いたそうです。


 敗戦直後は、郷里の高知県で廃品回収をして食いつなぎました。その時、幼い兄弟がおにぎりを分け合い幸せそうな笑顔を浮かべているのを見て、
本当の正義とは、おなかがすいている人に、食べ物を分けてあげることだ
と気づいたそうです。


 それで、アンパンマンが顔のパンを食べさせるというアイデアが生まれたんですね~


 やなせたかしさんは若いころから漫画家になる夢を抱いていましたが、そのデビューは遅く34歳の時でした。でも、ヒット作がなかなか出なくて、自信を喪失した時期もあったそうです。
 私、そのくだりを息子が読んでいる時、
「社会に出るのが遅かったのは私だけじゃなかったんだなあ」


 そして、絵本「あんぱんまん」を出したのはなんと54歳のとき


 やっと出版できたのに、最初のころは、顔を食べさせるなんて残酷だと評判が悪かったとか。それでも書き続けていると、あちこちの幼稚園や保育園の先生から「子どもたちが大好きです」という反響が寄せられるようになり、アニメ化もされて一躍ヒーローになっていきました。


 そして、やなせさんは、94歳で亡くなる直前まで執筆活動を続けたということです。


「お母さん、感動したわ~。ものすごく勇気をもらったなあ」
「そんなに喜んでくれて嬉しいよ~。毎日読むね~」


 いつもいやいやながらの音読が、息子にとって楽しい時間に変わりました。


 私、58歳になり、人生も後半だなあ、生きるのしんどいなあなんて思うときがあったのです。
 でも、やなせたかしさんのこの物語を読んで、生きる勇気がわいてきました。やなせたかしさんが94歳まで仕事を続けたのなら、私にもできるかもしれないと…。
 それと、やっぱり自分のことだけ考えていたらダメだなあとつくづく感じました。社会とか自分の身の回りのことに関心を持ったり、貢献するような活動もしたいなと改めて思いました。
 50代で「あんぱんまん」を書きはじめたやなせたかしさん。私も、今の仕事をこつこつ続けていこう。自分にできることでいいから、人のためになれることもしたいなあと。ブログもですけど(笑)


 最近カーブスに行く時間がなくて、スロージョギングを始めた私。走っては歩き、歩いてはまた走りみたいな感じなんですけど、気持ちがよくて~ いままで走ったことなんかなかったし、50代だし身体だいじょうぶかな~なんて思ってましたが、やなせたかしさんの諦めない精神を見習って、これからも走り続けようと思いました。もちろん人生も…。


 この作品によって、私の中にあった教科書ってつまらないという先入観が覆されました。重松清の「カレーライス」とこの作品は面白くて、私の人生にとってもかけがえのない作品になりました。
 光村図書出版、ナイスです!